「マッハ新書」とは何ぞや

マッハ新書とは、マッハで書いて売る電子書籍のこと。昨日(5.20)「マッハソン」というイベントが行われていましたが、私は所用で参加できませんでした。それ以上の詳しいことは調べよう。

マッハ新書を読もう! - BOOTH

マッハ新書について私が感心を持つのは、次の3つの点です。

  • 一部のコミュニティで流行
  • 12時間ぐらいのリミット内に一気に書き上げ、あとでアップデートも可能
  • 一般的な電子書籍の相場感からすれば高めの値付け

対話的に読まれ、書かれる

マッハ新書は、提唱者であるGOROmanさんとその賛同者やファンの間で流行し、互いに書いたり読んだりされています。一定のコミュニティを読者と想定できることで、ハイコンテクストな記述がOKになったり、ある程度のミスや内容のゆるさが許容されたりもするでしょう。

愛読書「声の文化と文字の文化」では、手書き本と印刷本の比較として、こういうことが述べられています。いわく、手書き本は生産者指向、生産者中心であり、内容は略号に満ちている。略号だらけの記述は読者にとっては不親切である。

声の文化と文字の文化

声の文化と文字の文化

そして手書き本は対話的に読まれる。読者は本に書き込んだり注釈を付けたりすることがあり、その内容は次の写本において本文に組み込まれることもある。

一方で印刷本は、印刷のための「版」を作る段階で徹底的に読みやすく編集される。印刷本は読者指向であり、読者に親切である。そしてテクストは完全に閉じられる。書き込みは書き込みであり、それが本文に影響を与えたりはしない。

内容をだいぶ丸めて書いたのでそのままの引用ではありませんが、マッハ新書とは、手書き本の特性を強く意識した活動と捉えることができそうです。

書き手へのリスペクトがお金で支払われる

Webのテキストにも似たような特性はあるわけですが、「マッハ新書」という独立した形になることと、互いに買いあうことで「書き上げる」行為へのリスペクトを目に見えるうえに実益のある形でやりとりできることが、Webとの違いでしょう。

ある程度のコンテクストが共有され、互いにリスペクトのあるコミュニティにおいて、こういう活動はすごく面白いと思いましたし、そういうコミュニティはいいなと思います。